利根川のほとり

自分に負けない!

宝塚『アナスタシア』感想

1月某日、東京宝塚劇場にてアナスタシアを見てきました。
大劇場千秋楽は配信で見ていたので、実質二度目。以下、色々よかったところ、違和感についてを書きます☆

よかったところ

和希そら様のレベルが高すぎる

和希そらが私は大好きなのだ。今一番好きなジェンヌさん。彼女はもう、歌、ダンス、演技、どれをとっても技術力が半端なかったです。二幕は正直彼女しか追ってなかったので、どういう話だったのかよくわからなくなったくらい。(おい)
どうでもいいけど、二幕の「侍女たるもの、自分の時間はございませーん」という台詞、一回目みたとき「次女たるもの…」だと思って鬼滅パロ?などと思ってしまいました。(は?)

キキちゃんの笑顔が最高

フィナーレのキキちゃんの笑顔にやられてしまいました。きらっきらすぎて。

民族、国の描き方がそこまでステレオティピカルでない

たまに宝塚作品で祖国とか亡命とかテーマになると民族ステレオタイプにまみれることがあってそういうの私大嫌いなのですが(拝金主義のアメリカ人とか、マッチョで片言のラテンアメリカ人の表象とか、虫唾が走るんです!どの作品かとかは言いませんけどね!)、この作品ではそのへんの違和感がなくてよかったです!パリも革命ロシアもフラットな表象だったと思います。

星風まどかちゃんが好き

かわいいし、強い。セーラームーンに出てほしい!(いつどこで誰役で?)

違和感

ディミトリが主人公であるせいで色々中途半端になってませんか?問題

見ていて思ったのが、なんかどこをとっても中途半端だなと。
そもそもこの物語って本来、タイトルロールであるアナスタシア(アーニャ)が過去の記憶を取り戻していき(Journey to the past)、「自分が何者なのか」を解き明かしていくのが主題だと思ってたんです。
しかしディミトリが主人公になることでそのあたりの掘り下げが中途半端になり、挙句の果てにJourney to the pastやOnce upon a Decemberというアーニャの記憶取り戻したいぜ曲でディミトリがしゃしゃり出てくるもんだからよくわからなくなってる。ディミトリの過去(=アーニャと実は昔出会っていた)を無理やりつなげてディミトリが一緒に記憶、過去関連曲歌うんですが、これがめちゃめちゃピンとこない。宝塚オリジナル曲だという「She walks in」でその自分の過去の記憶についても歌うんですが、このエピソードをそんなに何度も言及するなら口頭だけでなく視覚的にもわかりやすく提示した方がよいんじゃないでしょうかね……。
あとアナスタシアがヒロインだと対グレプ構図が明確になって、グレプの存在意義がわかりやすかったんでしょうが、ディミトリが真ん中にいると残念ながらグレプの存在意義がまったくわからなくなってかわいそうだった。。グレプ、マジで何もしないんですよねディミトリ中心プロットだと。こんな中途半端な三角関係、ある?(まあ宝塚だとわりとあるかも)

ホーム、ラブ、ファミリー?

一番の違和感は、この作品がやたら「ホーム、ラブ、ファミリー」を押し出してくること。いや、確かに家族も祖国も重要なテーマではありますが、そことラブを並べるのはまったく違くありませんか?
だってこの作品、アーニャは結局アナスタシア・ロマノフではなくただの「アーニャ」として、そして身分の異なる男と、祖国でない国で共に生きることを選ぶわけです。
しかも、「父親の無念を晴らす!」と意気込んでいた男グレプ(正しい発音はこれです。)は、アーニャへの身分もろもろ超越した「ラブ」故に最終的に「父親の息子になれなかった」と言って挫折してしまう。
この話においては完全に、「ラブ」はファミリー、ホームの上位互換として存在するんじゃないんですか?ラブはまさにアナーキーなわけですよ。(身分制って、家族制度ともちろん密接にかかわってますし)
ところがこの演出では挙句の果てにラストシーンでロマノフ家の家族写真でディミトリが加わるの、気持ち悪すぎてうわー!と声出そうになりました。は?アナスタシア結局何者として生きるんスあ?
また、「Stay, I pray you」という歌も、原詩では「I bless my homeland till I die」(私は祖国に祈りをささげる、死ぬまで)という歌詞が「わがふるさとに愛を」になってて、うあー!となって、もう完全に解釈というか価値観合わないなと思いました。確かに「祈る」という言葉は直感的にわかりにくいかもしれないけど…亡命者は必ずしも祖国に愛を持っていたのか?「愛」を持っていなくても祈りはささげられるんじゃないか?「愛」なんて簡単に割り切れるものじゃなくないか?はあ~~となってしまいましたとさ。
まあ宝塚なんでとりあえず愛愛いっときゃいいんでしょうが…でもだからこそ私は、ホーム、ファミリーの上位互換としての愛を描いてほしかったしそっちの方がプロット的にも自然だったと思うんですがどうですか?
なお、「ホーム、ラブ、ファミリー」完全に宝塚演出オリジナルこんせぷとかと思ってたら原曲でも押し出されていて混乱してしまった…このミュージカル、結局なんだったんだろう?是非オリジナルをちゃんと見てみたいところ。(オリジナルはサントラしか聞いていない)

宝塚を見ているときくらいもっとハッピーでいたい

こんなしょうもないことうだうだ考えながら宝塚見るのやめたいのにやめられない。

すべて無責任ですごめんなさい!!!!!間違いがあったら教えてください